書牘(しょとく)とは手紙や書状のことで、明治時代初期の学制における尋常小学校の教科の一つでした。文字通り手紙や証文の文例を通して文章力を習得することが目的だったようです。また、寺子屋時代の教科書であった往来物の伝統を色濃く残していたと言えます。
ここでは、明治7年と同8年に文部省によって発行された『書牘』を教材として用います。巻数は全4巻。書は中田嘉一が担当しています。内田嘉一は明治初期の多くの教科書の編纂に携わった人物です。
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書牘(しょとく)とは手紙や書状のことで、明治時代初期の学制における尋常小学校の教科の一つでした。文字通り手紙や証文の文例を通して文章力を習得することが目的だったようです。また、寺子屋時代の教科書であった往来物の伝統を色濃く残していたと言えます。
ここでは、明治7年と同8年に文部省によって発行された『書牘』を教材として用います。巻数は全4巻。書は中田嘉一が担当しています。内田嘉一は明治初期の多くの教科書の編纂に携わった人物です。
巻之一の巻頭に記されている緒言を転載します。書牘という教科が何を目指していたのかがよく分かります。特に維新後も男女で別れていた書翰文を統一しようとしていたことは興味深いです。なお、文中に出てくる顛倒語(てんとうご)とは、漢文において前に戻って読む部分(返り点が必要)のことです。
古今通用の往復書簡は男女を分ち、男は都(すべ)て顛倒語を用ゐ、女は概(おおむね)書下しを用ゐ来れり。然れども、今日に在て男女文を異にする時は、日常交際上に於(おい)て障礙(しょうがい)なきこと能(あた)はず。故(ゆえ)に此(この)書は男の文の顛語と、女の文の無用の辞とを改めて、男女を通し同く書下しの体裁に定めたるなり。
一、既に書下しの体裁に定むるを以(もっ)て目途となす時は、速(すみやか)に顛倒語の書簡を廃せずはあるべからずと雖(いえども)、数百年来の慣習一日の能(よく)改むる所に非(あらざ)れば、此(この)書姑(しばら)く今日通用の書簡の体裁をも其(その)後に附載せり。
教材化が済んでいるものには「テキストあり」としてあります。「テキストあり」をクリックすると教材のページへ移動します。
なお、手紙や証文の書式(雛形)なので、人物名は「何某(なにがし)」、地名は「何町(なにまち)」、数字は「何(なに)」・「幾(いく)」と置き換えられています。